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6年目の3.11

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2017年 3月 9日(木)19時57分7秒
   さて、2011・3.11から6年目に入ろうかとしています。
公開されている「県民健康管理調査」の最新結果では、ICRPでも唯一放射線との関係が認められ
ている甲状腺癌の調査――震災時(3.11時)1才~18才の子どもたちに加えて震災後1年の誕生児
を加えた約38万人を対象とした検査――の途中結果として、甲状腺癌とその疑いの持たれる子ど
もや若者が183人(2016.12.27公表資料)も認められています。
けれど、情報管制が敷かれ、フクシマの人たちの健康被害は全くの闇の中。
人々の疾病状況など表に出されている情報からも、相当に専門的な分析能力があっても基資料が
不十分な状態では、その実態は見えてきません。
その様な中で、苦労というか苦肉の策というか、
中村隆市ブログ「風の便り」の「原発事故後、東日本で大人にも甲状腺がん増加」
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-20768
では、既存統計資料から判りやすい比較が示されています。

 先ず、「甲状腺ガンは子どもだけでなく、大人にも増えている」との資料は「DPC対象病院」か
らの手術数を分析していますが、この対象病院数とは「平成26年時点では全一般病床の55%を占
めている。」とされていますから、かろうじて全国過半数の病床を対象にしているとは言え、残
念ながら部分でしかありません。ここから一つの傾向を見いだしていますが、部分は何処までも
部分として、全体にはなり得ない。そのことが専門家の目からは、この分析の出発点から信頼度
を損なうことになってしまうのですが、私たち市井の市民にとってはこれでも充分です。
むしろ、この資料分析の優れている点は、全国データーから地域別(都県・地方)に2010年~13
年の増加傾向を棒グラフで可視化して示していることです。ここに各地域の基礎人口を念頭に入
れておかなければ量比較はできないのですが、<増加率>比較であれば人数は無視できます。
このように、私たちにはただのっぺりした数値資料からではなかなか読み解けない所を、明らか
な形で示してくれています。
その上で、
「九州・沖縄1.07倍<南関東1.52倍<北関東1.83倍<東北2.18倍<福島2.78倍」
との結論を得ているのです。
 また、バンダジェフスキーやヤブロコフなどの報告を見聞きすることで関心を寄せている私た
ちには、甲状腺ガン以外の疾患や汚染地域の人々の免疫機能の低下など懸念するのですが、それ
も政府統計から循環器系・心臓・脳血管の疾患を2009年~14年の増加率を全国平均と福島県との
比較を示すことで明らかにしています。確かにもともと福島県は心臓病が多い傾向があった様で
すが、「全国平均より2.5倍も多いというのは異常な事です。」と結論しています。

 つまり、私たちが「品川宣言」を書いた時点で抱いていた福島を中心にした汚染地域の人々の
健康被害は、本当に残念なことなのですが、着実に進んでいるようです。その事をできるだけ見え
なくして人々を閉じ込めるフクシマゲットー、或いは収容所列島化政策に真正面から異議を唱え
たのが、同「宣言」でした。
けれど、原発に反対する人々の間でも、
○福島県を含む重大汚染地域放棄と人々の移住の権利を擁護しよう
とする私たちのような立場と、
○それらの地域と産業を維持して行こう
と願う立場には、乖離がありましたし、今もそれは続いています。
ただ、もう6年も経過してしまった人々の囲い込み政策の惰性的結果だけが、その事の結論を保留
させたままにしているだけなのです。
けれどその裏側では、この様な健康被害が恐れていたようにじわじわ進んでいます。私たちにいわ
せれば、幸いにもまだ形を持って現われていないように見えるこれらの被害についても、つま
り、高汚染地域で人々が生活し続けることに首肯してしまった人々には、いかに消極的であった
としても、その責任は自覚されなければならないということでした。このことを予測して、私たち
は「宣言」に<加害>として書きました。勿論、私達の主旨は弾劾ではありません。そもそもこの
ようなことを弾劾などできるほどに私たちは自身を高潔だなどとも思ってはいません。ただ、宣言
に参加した人々には有機農業や環境問題に関わって来た人がほとんどでしたから、水俣を通じて
被害・加害の逆転の危うさを既に知っていたのです。


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農薬をまくうちに病気で倒れる人もいたのです。そうしていく中で、公害被害者でもある甘夏生
産者が、農薬をかぶってさらに被害を受けながら作った生産物を、今度は消費者に食べさせる、
農薬被害を広げてしまうという矛盾に気づくようになってきました。

1973年、水俣病事件第一次訴訟判決が確定しました。また、それ以前から多くの人々が、水
俣に移り住むことで、あるいは水俣に居なくとも遠方よりカンパを送ってくれたりすることで、
息の長い支援を続けてくれていました。こうした状況の中でごく自然に、患者の作ったものを支
援者が売る・買うという、細々とした産直が生まれていきました。そこを手がかりに、私たちは
1977年、現地の支援者団体である水俣病センター相思社を事務局とした「水俣病患者家庭果
樹同志会」という甘夏生産者団体を発足させました。「被害者が加害者にならない」というス
ローガンを掲げた、甘夏の無農薬栽培への挑戦の始まりです。
 水俣甘夏生産者グループきばる 「きばるについて」一部抜粋
 http://kibaru-mikan.net/about
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ここにある
「農薬をかぶってさらに被害を受けながら作った生産物を、今度は消費者に食べさせる、農薬被害を広げてしまうという矛盾」
の「農薬」を「放射能」や「汚染された土壌」と置き換えれば容易に理解できるでしょう。特に「放射能をかぶってさらに被害を受け」るのは生産者です。その結果は県民健康管理調査の183人にのぼる甲状腺ガンに苦しむ子どもたちであり、「チェルノブイリからの報告」同様に増えるだろう様々な疾患に苦しみ倒れるフクシマの人々です。
私たちは非力ですが、その事を忘れません。そして、フクシマの生産者を加害者にしてしまう「食べて応援」などという私たちの加害・加担も断固拒否するのです。


 

2017 新年おめでとうございます

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2016年12月31日(土)18時42分28秒
   何とか新年を迎えることができました。
私が昨年の3.11に書いたような「破局」を迎えることもなく(当たり前ですが)。
けれど、時期が遅れるほどに益々現実化して来る上に、その破壊力は拡大してきます。
ちなみに、2016年8月4日発行の「2050 近未来シミュレーション日本復活」クライド
・プレストウィッツ著によれば、この2017年には日本経済は破綻しIMF管理下になる
そうです(笑)。

このシミュレーションでは、2017年3月に禁じ手の大規模火山噴火=「再度桜島と霧島
山が噴火し、噴出した高温の火山ガスと噴石が猛スピードで川内原発をに到達、あっと
いう間に原子炉2基を破壊」するそうです(笑)。
何が禁じ手かと言えば、自然災害を年月まで指定するシミュレーションなんて、フェア
じゃないからです。それだったら南海プレートだって動かすことは可能ですよね。
そもそもこのプレストウィッツの説では、川内の原子炉2基が破壊されても
「これをきっかけに、ほんのわずかでも火山噴火の危険があれば、全ての原子炉を停止
するよう求める世論が高まった。こうして日本は、原子力発電が厳しく制限される状況
へと逆戻りした。」だけなんです。
フクシマのこの5年余りの矮小化された事後処理状況がそうさせるのでしょうが、川内
で最も危惧されている人々の避難問題も何も考慮されていません。カルデラ噴火までの
イメージはないようですが、ただ二つの火山が同時に噴火し、その火砕流が川内にまで
届く噴火のイメージ自体がかなり曖昧なのはさておいても、南九州地方の噴火被害規模
が全く考慮されていない上に、川内の2基の原子炉破壊が及ぼすだろう九州地方或いは
容易に近畿地方にまで至るだろう放射能拡散も問題外にされているかのようです。
実はこれだけで日本の政治も経済も破局を迎えてしまう筈なのですが・・・。

その他、このシミュレーションはとても楽天的な形で終わっています。IMF下で2050年
には奇跡の復活を果たすくらいですから、そもそも今回の危機が世界の資本主義自体の
危機=歴史の終焉(水野和夫)に面しているなどという想定には全く至っていません。
日本だけが危機なのです。その他のIMF加入国は全く大丈夫だから・・・。
或いは、サムスンにソニーが吸収合併されてまうほどに、韓国経済は不同だにしていま
せん。
その様な楽天的な世界観で、同基金の支援で日本は復活できるわけです(笑)。全くにお
めでたい。

 と言うことで、この本は読む価値などないと私は思いますが、大事な点は、このよう
な駄本を含めて、或いはホセ・ムヒカ氏の日本のマスメディアでの好意的露出など、
2016年には、この国、或いは世界の危機と、この成長神話(もしくはグローバル神話)
時代への反省が、覆い隠せないほどに滲み出し表出されてきた年だったと感じた新年です。

この点だけで、皆様、新年おめでとうございます。

                                                2017、1、1 前迫志郎
 

5年めの3.11に

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2016年 3月11日(金)11時33分14秒
  吉里吉里人民共和国 建国秘録

 ほんの一畝ばかりの4筋の大麦を踏み終えて、冷たい西風を吹き下ろす山々に目をくれながら
冷えた両手をこすり合わせた。
既に午後の日射しは傾き始め、やがて来る夕暮れの兆しの中、ふと思ってしまうのは、この1年
ばかりの出来事と、得体の知れない後悔に似た諦念だ。

 他人のことは知らないが、私には予測されたことだった。もう既にこの国も経済も終わってし
まっているという諦めは数年来のモノだった。

フクシマで起ったこととその帰結、200万人以上の人々が汚染された大地に残置され、少なく
とも200人を越える子どもたちや若者が甲状腺癌の不安に苦しんでいた。そんな人々の姿を見
て、国民をゲットーのユダヤ人の様に閉じ込め切り捨てるこの国は、既に民主国家の体をなして
いと思われた。この事実は恐らくソビエトロシア崩壊の引金となったチェルノブイリ事故同様
に、この国をも崩壊させるだろうと予感させた。

そうで無くとも、1970年代の憑かれた様な高度成長と、一億総中流幻想の80年代、そしてバブル
から失われた20年を越える無意味な足掻き。さらに、格差拡大の波々。

思えば1986年のチェルノブイリ事故以後も、この国で増えたものと言えば、オール電化住宅と
街々に並ぶ自販機と終夜営業のコンビニ。街中のスーパーに加えて郊外にはさらに巨大なショッ
ピングモールが建ち、地方の町々の国道バイパスに至るまで、ファーストフードチェーンやきら
びやかなパチンコ店が居並んだ。あらゆるオフィスではエアコンと事務機器が電気を浪費し、
ファーストフード店やスーパー・コンビニなどで排出される廃棄食品が実際に飲食される食品量
と同量に達した。

このようなエネルギーも食糧も大量に消費=浪費する社会が永遠に続くはずもなかったし、実
際、世界の優れた知性たちは、早く1970年代から「成長の限界」を警告し、京都会議は化石燃料
浪費を戒めCO2排出量削減を求めていた。また、持続可能な「新しいゆたかさ プレニチュード」
な暮しや「縮小社会」の必要性も説かれていた。これまでの成長神話と際限のない欲望に追い立て
られる消費スタイルでは、破局を迎えるしかないとの警鐘は繰り返されてきたのだ。
この国においても、既に少子高齢化の波に呑まれて久しく、消費人口は縮小していた。少子化は
育児用品業界から幼稚園・学校まで、学習・教育産業は全て縮小再編成を迫られていた。当然に
あらゆる産業はその生産商品の需要を伸ばせず、肥大する老人人口の側にしても、実際に豊かな
老齢者など一握りで、若齢から老齢人口まで消費力を失っていた。
そんな閉塞して行く社会の中で、若者たちには、努力が足りないからだとか、能力が低いからだ
とかの悪口が浴びせられてきたが、既に知能でも家庭の経済環境でも恵まれた若者が、長い努力
の蓄積で博士課程を修了しても、職の無い博士が溢れだしていた。本人の努力が足りないのでは
なく、社会に受け皿が用意されていないのだ。一般の若い働き手にも正規雇用は狭まり、粗悪な
食品・商品を供給する産業が、若者たちを雇用で搾取し、ジャンクフードで健康を脅かしていた。
新しいビジネスモデルとして提案されたのは老人介護ビジネスであったが、近い将来、圧倒的多
数の高齢者は潜在的高齢破産者であり、老人介護施設においても高額利用者は望めず、将来展望
の持てる職場でもビジネスでもなかった。そこでも非正規雇用の若者やシングルマザーなどが低
賃金で酷使されるだけの場であり、その鬱積が入所者に対する虐待さえ日常化していた。入所者
にもスタッフにも絶望施設でしかなかった。

かつて、安倍や麻生を阿呆だ馬鹿だという言説はネット社会に溢れていたが、少なくともこれら
無能な奴らを操っている偏差値の高い連中(経団連なのか、高級官僚群なのか、「日本会議」なの
か、電通・読売・フジ産経などの支配メディアなのか、恐らくはその複合体)には、私にでも判る
この国や経済が終わってしまっている事くらい百も承知だっただろう。であるが故に、壮大な<
嘘>のベールが、それまでの成長神話に増設され、この国の人々を覆った。その本当の中身は、
「オ・モ・テ・ナ・シ」とは「裏ばっかし」という意味でしか無く、「Under control」の裏の意
味は、全く手の付けようも無いという意味でしかなかった。
この「手の付けようも無い」事は、F1(福島第一原発)だけでは無く、バブルから失われた20
年を経て、とどのつまりでの3.11大震災から東日本核汚染で本当は実体的経済までもが破綻を迎
えていた。ただ、幻想という「裸の王様」カンフル剤がそれをゾンビのようにさまよわせていただ
けだった。
さらに団塊世代の年金受給年代への突入は、それだけで数年後の年金崩壊を射程に置ていていた
が、そこに加えて年金積立金管理運用法人(GPIF)が株式運用枠を大幅に増やしギャンブル性を高
めた後、あの株大暴落で破綻させた。既に福島県民200万人に加えて老齢世代の国民も棄民された
のだ。

誰もが知る事実をこのように見直してみれば、特に優れた知能の持ち主で無くとも理解できる事
だった。実際のこの国の情報供給は、90%は全くにどうでもよい情報で、残りの5%はねじ曲げ
逆解説された、名ばかりの<事実>の報道。最後の5%は全くの演出された虚偽報道でしかな
かった。そのため、多くの人々はそんな簡単なことにも気づけなかった。
つまり、メディアに情報を依存するごく普通の人々は文字通り「Under control」されていた訳で
あり、これが国民オモテナシの実態だった。
当然に、40年もの長きにわたってバブル=成長神話の時代を謳歌させられた人々には、このモ
ノもエネルギーも過剰に供給され、消費させられる暮しから離れる事など、想像すらできなかっ
た。故に、脱原発を熱く語る人々にさえ脱成長の暮しまで想像することは不可能だった。
やがて、波打ち際の砂浜に立つかのように、格差拡大で足元をえぐられながらも<豊か>な生活
維持の見果てぬ夢にふける人々だけで無く、脱原発を唱える人々まで共犯に巻き込みながら(深
層では成長神話を否定できない)、原発再稼働の流れは確定していった。
その様な中で、漠然とした投げやり感しか無かった私の思いは、遙かにドラスティックな現実で
打ちのめされた。

水野和夫は、この世界経済が既に資本主義の終焉にたどり着いてしまっていることを看破し、そ
のハードランディングモデルは中国経済のバブルの弾けから始まるだろうと警告した。そして、
あの年の夏、それは始まった。
前年から上海市場の暴落が始まっていたが、まだ世界は耐えていた。
ところが、翌年初頭からの東京市場の落ち込みは日銀当座マイナス金利の導入でそれまでの国内
金融株の低迷に拍車をかけた。さらに黒田日銀には既にバズーカの連発で弾が尽きている事を見
透かされてしまい、原油暴落に苦しむ産油国マネーや、自国の不況で日本から資金を回収しよう
とする中国・韓国などが引金となって、ハゲタカを先頭に他の国外ファンドも引き上げ始めた。
この日本売りの端緒をきっかけに信頼を失ったこの国の株式相場は、当初日経平均が16,000円を
維持していたが、直ぐに週毎に乱高下する荒れた相場模様から13、000円を下回り、そこから一気
に暴落が始まった。この株式崩壊から、最早、日本円の相対的安全性など全く信用できないとの
判断を招き、ここで、株価が下がれば円高に振れるなどとのドグマも淡くも崩れ去った。
信頼を失った円は簡単に1ドル150円を超え、200円を伺い始めた。

この円暴落が始まったところで、上場企業などの役員や高級官僚が最も早い対応を見せた。
かねてより準備していた不動産などの海外資産、海外預金・外資銀行への預金に加えて、国内の
円もどんなに不利なレートでも、ドルやユーロやオーストラリアドルなどに変換して、家族をそ
れぞれに渡航させた。各国際空港はお盆や正月前のようにごった返し、本来の避難国へのチケッ
トが獲れない人々は韓国でもタイでもフィリピンでもグァムでも、何処経由でも先ずは脱出する
ことに血眼になった。あらゆる便が満杯だったという。
もちろんこのような光景はテレビには映されなかったし、あらゆる報道はそれらを無かったこと
のように無視した。当然で、大手テレビ局や新聞社、マスコミ企業幹部家族もその渡航者の群れ
に含まれていたのだ。
この家族脱出は大手企業の幹部家族が中心だった。つまり、企業幹部はまだ国内本社などに踏み
とどまっていたが、当然にいつでも逃げ出せる準備は整えたわけで、その裏では企業資本の国外
移転が進められた。
その後、企業もろともの移転を早くに準備し終えたのは自動車メーカー・家電・事務機などの海
外生産拠点を整備していた製造業大手各社だった。主にクルマメーカーとその有力協力会社など
の本店移転先は米国・カナダ・インドネシアなど、調印されたTPP環太平洋地域が中心だっ
た。他の電機・事務機などの製造業もベトナムやタイ・マレーシア・フィリピンなど東南アジア
などに移転した。本社オフィスだけをシンガポールにおく例も多く見られた。それらの製造業で
は、反面国内工場の製造規模は縮小され、派遣労働者のほとんどは雇い止めされた。幹部社員と
その家族だけが脱出を計り、立場の弱い従業員はフクシマの人々同様に残置された。
 なお、国外脱出準備は民間製造企業ばかりに限らなかった。高級官僚や与党国会議員なども外
貨の為替変換に走った。外資銀行に口座を持つものは円を外貨変換して預託した。国内メガバン
クの都市部各支店では外貨やトラベラーズチェックは不足気味の様相を呈し出した。その閉店直
後、店内では店員から先を争って社内預金の円をドルなどの外貨に変換したために、翌日には各
銀行本店でも外貨の準備不能になった。当然に本店では資産保全の意味を含めて為替市場での外
貨への変換に邁進したが、これらの動きが、さらに円暴落に拍車をかけた。

40年間の実態のない金融信用バブルが弾け、事実上円が紙切れでしかなくなり、当然に国は予算
執行などできるはずもなく、1週後には、高級官僚の日本脱出で全ての省庁の活動は停止した
し、開期の国会も、与党議員を中心にした国外脱出で議会は閉鎖。踏みとどまっている公務員・
議員もその日の食料確保のために登庁者の姿は絶えてしまった。
治安維持の防衛省も警察庁も幹部の国外逃亡で混乱したが、各地の中堅幹部がそれぞれの管轄
で、地域のJA(農協)やJF(漁協)の協力を取り付け、隊員と家族への食糧確保を約束すること
でかろうじて組織を維持した。彼らの見返り任務は、都市住民の農村収奪から農地・農産物と漁
師の操業を守ること、そのための略奪暴徒鎮圧と農林水産業用ガソリン・軽油共給の確保などで
あった。
これらの関係性では、食料とエネルギー、労働を中立つものは主に各JAのカントリーエレベー
ター・ライスセンターの備蓄米であり、江戸期から久しく米本位制が復活したかのようだった。
 また、フクシマ原発禍では当時の東電幹部一族が退職後ドバイなどで優雅な逃亡生活を送って
いた前例のためか、エネルギー産業幹部の準備の早さと国外逃亡は目を見張るものだった。石
油・石炭・LNGなどの企業はもともとそれらの産地国との関係は深く、現地法人も置いていた
りしたために、横滑り的に国外脱出が謀られた。問題は日本国内が順調に稼働できるかどうかだ
けであったが、他の民間企業がほとんど機能停止して行く中で、産業エネルギー需要はほとんど
失われ、最低限の設備と人員で備蓄資源を管理できた。もちろんこれらは各地方の自衛隊の管理
下で保護を受ける形となった。
この産業エネルギー需要の喪失は、各電力会社でも再稼働させた原発の意義を明らかに失った。
そのため、全ての再稼働原発は停止され、燃料は抜き取られた。けれど、使用済燃料プールから
の移動はできないままだったので、冷却と水位維持は長期の保守が必要だった。
その要員と冷却のための外部電力の維持が実質本社機能が喪失して行く中で、何処まで可能なの
か危ぶまれた。

一方、株価暴落・取引場の閉鎖と円貨幣の無効は実体経済をも確実に丸裸にした。そんなものは
そもそもバブル=幻想でしかなかった。
襲い来たハイパーインフレはモノの価格を100倍にも上げてしまったが、そんな価格のものを購入
できる層は全て国外に逃亡していた。つまり貨幣交換が成り立たなくなっていた。
また、国外脱出できない産業でも、外食などのサービス業での閉店が相次ぎ、また、その時の食
品価格に見合う賃上げも期待できず、家族の食料調達が第一義となり、出勤サラリーマンの姿も
見られなくなっていった。オフィス街は機能を失い、ベッドタウンの郊外都市では、突然のよう
に食料を求める失業者・出勤拒否者の群れが出現した。そこには臨時・派遣雇用も正規雇用も差
は無かった。もしも彼らが、実情賃金未払いだ、と言ってみたところで、労基署も裁判所もすで
に機能を失っていた。つまり、国民保護機能の全ては失われていた。検察・警察の職員たちまで
もが、その群れの中にいた。彼らの群れは、商店・食品工場・食品倉庫などを襲うことになった
が、それまでこっそりと食品を持ち帰る事で、かろうじて職場に残っていた従業員たちが、自ら
これら収奪者の群れに扉を開く事が多く、人々は整然とそれぞれに持てる量だけを持って帰ると
言った、静かな収奪風景が繰り返された。

円暴落のために輸入食品も暴騰し、ほとんどの飼料を輸入に頼っている酪農畜産農家は行き詰
まった。それまで自国産と言われていた肉も卵も牛乳も、その原料とする飼料は粗飼料(牧草)
の多くまでが南北アメリカのコーンベルトや小麦地帯、或いは大豆粕や綿実粕などに依存してい
た。当初、既に家畜も家禽も飼育は不可能と判断した生産者たちが殺到し、各地の食肉センター
や食鶏処理場は受け入れ制限を始めるしか無かったが、餌不足で乳量も産卵率も低下し、早くに
乳製品や卵は品薄になり暴騰した。
食肉センターが比較的遅くまで運営されたのは、職員たちがブロックで家に持ち帰り現金の代わ
りに他の食品と交換したり、独身男性職員などは想いを寄せる女性の家庭などに貢ぎ、その家庭
では大いに毎夕の来訪が歓迎された。もちろん、歓迎されたのは食肉であって、その男性では無
かったのだが・・・。
一方、仕上げの悪い痩せた肉類は滞留し始めたが、この国の都市住民には、枝肉や丸鶏の処理技
術も道具も失われていたために、手の出しようも無かった。一部の農村で闇で堵殺された豚や産
卵鶏などが食肉利用されたが、一般の市民には届かない話だった。

戦後闇市・買いだし時代、或いはロシアルーブルが紙くずになろうとしていた時代のように、札
束でその日の食品を買おうとする風景も当初は見られたが、もちろんそんなことは二週間も続か
なかった。やがて都市のスーパーやコンビニは略奪し尽くされ、当然に、各店舗への共給も絶え
ていた。直ぐに略奪するにもモノが無くなっていた。また、略奪を受ける前に店員が率先して食
料品を持ち帰ってしまう事がほとんどだった。
当然に商品も入らない、入れば略奪される。店員にも信頼して任せられない状態では、雪崩を打
つように店々は閉店していった。
外食店はさらに食材が入手できずに閉店してしまい、日暮れ後の都市は治安の悪い暗闇でしかな
く、先ず都市の住民から食糧難民化が始まることとなった。
自分で米を炊きおかずを作る生活習慣を持たない外食依存の若い世代やシングルの人々はいち早
く食糧難民化した。ややずれて、三度三度の食事を自分で作る習慣のある世帯でも、家庭備蓄の
米・味噌・醤油・冷凍食品・缶詰・レトルトを使い切ってしまうところでその後を追う形になった。
大都市郊外のスーパーなどでは、当初ホウレン草や小松菜などの葉野菜が一束1,000円を越えたと
ころから、売り場は閉鎖された。近郊野菜農家がいくら高値になっても、その支払われたお金で
買えるものが無くなってしまったうえに、親類縁者・知人から近くのニュータウンの住民などの
直接買い出しに応えなければならず、紙幣との交換も無意味となっていた。
さらに、この円安・ハイパーインフレが起った当初の、札束を持って購入しようとする没落中流
も、1週間も経たずにほとんどの銀行窓口が閉鎖され、暴騰高値の食品を買える現金を持つ人々
もいなくなってしまったのだ。
こどものために、米を野菜を食べ物をとすがるように近隣住民が近郊農家に押し寄せた。その申
し出に応えなければ、直接畑から持ち帰られてしまうような有様だった。農家が収穫する分には
再生産を前提とした適期・適量収穫であったが、近隣非農家(サラリーマン)住民の収穫とは、
根こそぎの収奪と踏み荒らしでしかなく、その農家の再生産意欲まで踏み荒らされる状態となった。

各農村集落では、当初は高齢化した消防団が農地の作物を守る自警団に役割を変えたが、近隣住
民の数には太刀打ちできなかった。
やがて都市で食い詰めた子や孫、或いは、それまで会った事もなかった見知らぬ親戚までが農村
に戻ってきたために、文字通りの青年団も復活した。
この現象は一時限界集落と呼ばれていた奥深くの山村にも及び、爺々婆々の多くは独居住まい
だった農家も、いきなり四世代同居に復活した。
この様に、郊外サラリーマン家庭も、かつての忘れられていた故郷を思い出すかのように帰村し
ていったのでその数を減らし、さらに近郊農家でも帰村世代に阻まれ、食料調達の場所では無く
なってしまった。
最大の悲劇はこのように還る村を持たない都市住民世帯だった。もちろん、作物を根絶やし収奪
され、圃場を踏み荒らされた農家の体験は、彼らへの同情心を一切呼び起こさせなかった。
 その様な中で、最も悲惨だったのは老人施設や障がい者施設入所者と入院患者たちであった。
医薬品もさることながら、とにかく食品が入手できない。職員も出勤率が下がり、入所者・入院
患者のケアも給食も滞る中、ある老人施設の若い女性福祉士は数少ないスタッフで手の回らない
中、お腹が空いたとの老人たちの訴えを黙殺しながら、とりあえずの排便の処理だけを黙々とこ
なした。けれど、二十数人目で突然耐えられずに泣き崩れた。ひとしきり嗚咽を繰り返した後、
制服の着替えも忘れて放心したように施設を立ち去ったという。その後その職員の姿は地域にも
みられなかったらしい。
数日後、まだ夏であったため、猛烈な死臭と腐敗臭が施設周辺に漂った。
まさに、現在の姥棄て山、或いは絶滅収容所(アウシュビッツ)再現の悪夢であったという。
また、医薬品企業の操業停止は、インシュリンを必要とする在宅患者たちのいのちを蝕み、フク
シマを筆頭に甲状腺切除した人たちの甲状腺ホルモン剤の供給停止が、あっという間に健康を蝕
んだ。日本の経済破綻と公共サービスの崩壊に対して国連難民高等弁務官やWHOも重大な関心を
持っていたが、日本政府の崩壊と日本赤十字も機能不全に陥る中、窓口の不在から、それらの救
援も遅れてしまっていた。そもそも、当の日本の医師たちの多くも国外逃亡を果たしてしまって
いた。
他方、多くが農家・漁師の出身者で、とりあえず糊口をぬぐえる職員を抱える地方行政機関だけ
が機能を縮小しながらも保持していた。これらの機関では当然に予算の執行能力はなく、職員は
無給状態であったが、本来の地方公務員の本分に立ち返って市民生活の維持に懸命であった。同
じく農家・漁師の子弟職員で維持されていた同地域のJA・JFとタイアップして配給制での食
糧供給を復活させ、公立病院・診療所が指導して、市民の健康と各施設収容者への給食・医療
サービスを維持していた。それらの地方では都市の暮しを早々と見限ってUターンしてきた家族
で人口爆発していたが、反面、生活物資の配送や医者・看護師などの医療関係者、福祉士・教師
などがボランティアとして豊富に労働力を供給したために、最悪の事態は避けることができた。
やがて、このような地方機関が窓口となって、抗生物質・インシュリン・甲状腺ホルモン剤・降
圧剤・人工透析に関連する薬剤等々の医薬品共給をWHOから受ける窓口となった。
後日判明したのは、老人や持病のある人々、新たな感染症患者などで、栄養や医療・介護の不足
による犠牲者は、その人口比を勘案しても都市と近郊、そして早々と知事を筆頭に地方行政幹部
が逃げ出し、住民サービスが破綻した福島県に集中していた。

 貨幣崩壊=ハイパーインフレに見合う実質的な無給状態で従業員が離脱した各食品販売を担う
スーパー・コンビニ・生協などが営業停止した大都市近郊で、農作物強奪も阻まれてしまうよう
になった人々の中で、それでも食糧供給を維持できたのはCSA(Community Supported
Agriculture)と呼ばれた実験的産消提携農場だけだった。これらの農場は農業生産に関わるコス
トを先払いのうえで、翌年一年間生産物を受け取る制度であったために、このハイパーインフレ
の弊害を免れた。さらにサポーターと呼ばれる提携消費者=多くは都市労働者の職場が崩壊して
しまったために、毎日が日曜状態となり、農場で労務する人たちが一躍増大した。CSA農場で
は前払いと同時に、できるだけの農耕参加を唱っていたため、これらの人々はその日の糧を得る
うえでも、農場へと日々参集した。
やがて耕作ばかりでなく、近隣住民の作物強奪にも備えて、鋤・鍬・鎌・フォークなどの農具で
武装して自警団的様相(あるいは百姓一揆のいでたち)まで帯び、実際多くは夜警当番もこなすよ
うになっていた。彼らは実際に暴力的な作物強奪者たちに立ち向かうこともあったが、子連れで
よろよろ歩く欠食家族たちには、近所の顔見知りではなくとも優しかった。1kg程の精米とその
日の残り物の収穫物を与えて、「あなたも毎日ここで草むしりにでも参加しなさい。そうすればそ
の日の食べ物くらいは差し上げられますので・・・。」とサポーターを増やしていった。やがてエネ
ルギーインフラも順次絶えて行く中、都市近郊住宅でソーラーパネルを持っている家庭は何とか
なったが、都市ガスが途絶えた各戸では、カセットコンロのボンベも使い果たし、アウトドアや
山登りを趣味とする人の家庭にはガソリンバーナーなどもあったかも知れないが、とにかく各家
庭での調理エネルギーにも事欠きだした。そうなりだして、いつしか農場は共同炊事の場所にも
なり、特に夕刻ともなれば、毎日サポーター家族で賑わう様になっていった。そんなときには女
性たちの能力が大いに歓迎された。
また、近くの漁港に知り合いのいる人が農場のお米と少しの野菜を持って、トロ箱一杯の魚と交
換してきたり、餌をやれないという養鶏場から鶏をもらってきたと言って、農場で見よう見まね
で絞めて羽をむしり出す人など、それぞれに秘められていた能力を発揮するコミューンのような
様相に発展しだした。
 私が参加してる農場も、CSAの様な制度整備はなかったが、近隣ニュータウンの住民が農耕
ボランティアに集まる農場だった。草取りや草刈、苗の定植や収穫手伝いなど様々な農耕作業を
手伝いつつ、その日の収穫物の格外品を持ち帰ったり、害獣駆除の猪や鹿が獲れればメンバーか
ら村内の農家さんも加えて、鍋をつつくような集まりをなしていた。
また、寒の時期には麹造りから味噌仕込み、果ては濁酒造り。また、時には炭焼きなどの農事ク
ラフトを普及し楽しむ拠点でもあったが、市民参加型の農業の例に漏れず、円や経済の破綻につ
れてボランティア参加者も増え、レンブラントが描いた「夜警」のように、夜な夜な集まっては地
域農地の夜回りをこなした。
農産物略奪の都市住民とは敵対しながらも、近隣ニュータウン内の老人世帯やシングルマザー家
庭の支援などを行なっていた。
やがて生産地に田舎を持つ人々が帰って行き、地域も落ち着き出した。そんな中で、私たちも農
村集落やJA支所単位でのコミュニティを再建させる中に組み込まれながら、農村自給圏的なも
のも形成されてきた。
今回の国家・経済破綻劇を乗り越えて郊外田園ニュ-タウン地域の新旧住民の融合を進めた希有
な一例と言えるだろう。ただそれも農家側の人口回復とニュ-タウン側の人口縮小を背景にして
いた事は言うまでも無い。都市サラリーマン人口がそのままであったら、この郊外農村の収穫量
では曲りなりの自給すら不可能であったろう。
この経済破綻の直前まで、安価な輸入食料に依存して、国内農業不要論やそれに近い心ないこと
が言われ続け、都市近郊農地は次々と破壊され宅地化されてきた。
しかし、そこにできたニュータウンなどは、周囲に残された農地なくしては食料保障すら得られ
ない、幻の勤労者<生活>タウンでしかなかったのだ。

況してや都心にはすさまじい飢餓が襲い、食糧難民がぞろぞろと都心から郊外へ、さらに地方へ
と流れ行き、その過程で老人や幼子が幾人もはかなくいのちを閉じたという。
また、病院、老人や障がい者施設などでの酸鼻を極めた大量遺棄致死事件は国連人権理事会と国
際刑事裁判所から重大な関心をもたれており、調査対象とされた。その結果はまだ出ていない
が、国外脱出日本人を受け入れた各国でもその事は問題となり、政治家、公務員や医師などには
持ち込んだ財産の没収や、国外退去を命じられたりしている。それらの国によっては強制送還し
ている国もあり、追い返された連中がそう自白しているそうだ。
確かに、一見消極的な不作為の様に見えるが、彼らが守らなければならなかった具体的な命があ
り、それら身体的弱者(患者・障がい者・高齢者・幼児・妊産婦等々)の保護責任者であった彼
らが、それらの人々を見捨てて国外逃亡を謀ったことは、糾弾されるべき事だった。
また、国外脱出を試みた企業においても、その役員の多くの国籍が与えられず、企業の役員就任
資格を剥奪される例も少なくなかったようだ。それらの企業では、その国の国籍を有する人々主
導で経営されることとなったが、つまりは避難国での企業乗っ取りであった。また、この国家破
綻劇が始まる前からシンガポールに脱出していたMファンドが、脱出企業の持ち株率を10%確保
したところから、「発言する株主」と称していくつかの脱出企業に役員を押し込み始めた。同ファ
ンドの資金持ち主は既に外国人主体となっていたために、ここでも形を変えた乗っ取り準備が始
まっていた。もちろん各種各様の産油国や欧米ファンドも日本脱出企業の乗っ取りに参加しだし
た。護送船団方式で日本政府の庇護下で温々と育ってきた日本企業が、国外に出た途端に生き馬
の目を抜くような外国資本に取って食われるのは時間の問題だった。

 多大な混乱と犠牲の上に、この列島でもようやく再生の芽が育ちだした。昨年の獲れ秋には米
の収穫と共に食糧自給体制が整い始め、地域自給食糧を基にした各地域コミューンは自主的な地
方自治体・議員報酬無給の地方議会などの再建が始まった。それらでは各地域通貨の試みも始ま
り、先進的な地域ではそれを地域住民全体に公平に配布するベーシックインカム制度も目立っ
た。また、これらの地域自治体の横断的協議も始まっており、インフラ再建と新たな国家再建が
話し合われている。かつての日本国憲法を採用しようとする意見が多数派な様に聞いているが、
第一章だけは早くに皇室一族がベネルクス三国の各王室の庇護を受けて脱出したためもあり、皇
室の再建や帰国要請などを発言する者は無く、序文と新たな第一章が起案される見込みだとい
う。この1年、最大の問題だった自給食糧の重要性が公知となり、神道とも天皇制とも関わり合わ
ないこの列島の自然環境保全をベースにした「農本主義」的な案が勘案されているらしい。
これまで、最低限の国連を中心にした国外支援には助けられてきたが、今は諸外国も資本主義的
終焉に対面しており、この日本の経済破綻に引きずられる経済危機の予感に悩まされている。
また、既にこの列島には主立った企業も機能する都市も存在していないために、経済的な価値も
貨幣換算される資産もない。だから当然に、IMFもWTOも介入の余地を持たなかった。下手
に救助に向かえば抱きつかれて二重遭難にあいかねないと思われているようだ。その事が幸いし
て軍事支配も経済支配も受けずにゆっくりと自立再建を果たして行けば良い訳だ。
 そんな風に、とりあえずの列島コミュニティ(国家)再建の端緒にはたどり着いた模様で、落ち
着きを取り戻しつつある。


そんな中で、私は数年前から始めた濁酒に次ぐビール醸造を目論んで、この二条大麦の栽培と、
真夏の日射を避けるグリーンカーテン代わりのホップ栽培に取り組んでいるのだが、ビール醸造
がうまくできなくとも、少なくとも麦芽水あめでもできれば、この農場に出入りしている子ども
たちの可愛い笑顔が見られるだろう。

そう想像していると、何だかそれまでの西風に金属臭、いや、呼気なのだが何か舌に感じる金属
イオン感覚だ。その途端、溢れるように鼻血が吹き出した。
私の身体を言いしれぬ戦慄が貫いた。川内か伊方か? どこかで使用済み燃料プールが空焚き状
態になったのではないか。
 経済破綻の後に、やっと落ち着いた本来の人の暮らしが再建されるのかとの安堵を、その不安
は落ちたグラスが砕けるように私を襲った。
                                       完


 これは極近未来のお話しで、当然にフィクションです。数ヶ月後にはそんなことは起きなかっ
たじゃないかと言われるでしょう。
でも、何時起きるかではなく、それは、直ぐそこまで来ているよ、というお話しです。
                              2016・3・11 前迫志郎

 

3.11から11ヶ月

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2012年 2月14日(火)23時04分5秒
  3.11から11ヶ月
 今回の東京電力福島第一原子力発電所が起こした放射性物質大量放散「事件」から、無為に11ヶ月を過ごしてしまいました。直ぐに1年です。
確かに多くの人たちが、脱原発のために立ち上がり、活動しています。それはすばらしいことです。とりわけ、フクシマの子どもたちを何とか救いたいとの様々な活動には、誰しも頭を下げます。
でも、この11ヶ月という期間を見て、ふと思ってしまいます。
「もう、全ては遅いのかも知れない。」

 ヨウ素131は半減期が8日ほどしかない核種であることが知られています。3ヶ月=10半減期も経ましたら、1/1000以下になってしまうもののようです。最近、食品の残留でも誰もヨウ素なんか問題にもしません。もし、新たに放射性ヨウ素が日本列島で観測されたら、それは「再臨界」の可能性ですから、その意味では注目されるでしょうけれど、実際今は誰も注目しません。
でも、チェルノブイリでは「チェルノブイリ ネックレス」と呼ばれる甲状腺摘出痕、首を切り裂いたような手術痕が、多くの若者に刻まれていることが知られています。

「 ベラルーシでは放射性降下物の70%が国土の四分の一に降り、50万人の子供を含む220万 人が放射性降下物の影響を受けた。ベラルーシ政府は15歳未満の子供の甲状腺癌の発生率が 2001年には1990年の2000例から8,000~10,000例に急激に上昇したと推定している。  」
 「ウィキペディア」から、ただし以下の注釈出典が示されています
 48.^ Office for the Coordination of Humanitarian Affairs, “The Republic of Belarus”, The United Nations and Chernobyl,
    http://www.un.org/ha/chernobyl/belarus.html 2011年6月20日閲覧, "70 percent of the total radioactive fallout from the accident   descended on nearly one-fourth of the country. The fallout affected more than 2.2 million people, including 500,000 children."
 49.^ Office for the Coordination of Humanitarian Affairs, “The Republic of Belarus”, The United Nations and Chernobyl,
    http://www.un.org/ha/chernobyl/belarus.html 2011年6月20日閲覧, "The government of Belarus estimated that thyroid cancer rates
    in children under 15 years rose dramatically from 2,000 cases in 1990 to 8,000-10,000 in 2001."

 福島県民人口が2008年に200万人とされています。このデーターと同程度です。
すると、数年後に1,000人の子どもが。15年後には10,000人の青年達が首筋を切開されることになります。
 ただ、問題はその刻印はすでに打たれているのではないか? ということです。
既に、ダメージを受けてしまった甲状腺各細胞のDNA。それを決定的な病変へとつながらさないための努力や方法があるのでしょうか?
あるとすれば、その個々人の健全な「免疫」作用に依存するしかなく、ただ唯その子どもたちがこれまでの1年近くを明るく健やかに過ごしてくれていることの「望み」あるいは「祈り」なのですが、残念ながら私たちはフクシマの人々、子どもたちにそのような安息を与えることはできていません。

  先に、肥田舜太郎先生は一年目から、いわゆるぶらぶら病などの症状が目立ってくる広島の体験を語られています。
私たちは、ただ単に1年経ったと記念行動をスケジュール化するのではなく、どんなことがこの先起こってくるのかを、注意深く見定めてゆく必要があるだろうと思います。
そして、その予測の元に私たちは今何をしなければならないのか? 真摯に考えた上で行動しなければならないのだろうと思います。
 気がついた時には、もう何もかにもが遅かった、ということにならないように…
 

賛同します

 投稿者:石川メール  投稿日:2012年 2月 7日(火)18時08分3秒
  子供の未来を考えるたまの会は、品川宣言に賛同いたします。
 

何もかにもが変わらねば③

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2011年12月 4日(日)11時52分48秒
   当然にクラブは「自販機へらそうキャンペーン」(FoE Japan)に
賛同しています。深夜のコンビニにも反対しています。
深夜給湯→朝シャンの「オール電化」にも反対しています。
(お嬢さん達に料理も教えられない=丁度腹部に電磁波が当たる、
 IHコンロは、フクシマの放射線同様に危険じゃないですか?)
当然深夜原発余剰電力を前提にした<反エコ>「コンセント充電
カー」にも反対です。
そんな日常の中に潜む「原発依存」生活を見直したライフスタイ
ルを考えてゆくと「何もかにもが変わらねば」ということになり
ます。もちろんGDPは下がりますけど。

 でも、それぞれにつましく幸せな暮らしを取り戻せそうです。
フクシマ後では遅いような気もしてしまいますが、まだ間に合う
のなら、基本はそこら辺りだろうと思います。

 

何もかにもが変わらねば②

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2011年12月 4日(日)11時41分43秒
   私が関わっている「こうべ消費者クラブ」で次のようなご意見
を頂き、お応えしました。
_____________________________
   両親が群馬で無農薬野菜を作っています。先日1泊帰省して
きましたが、どのくらい汚染されているのかと常に思いました。
まして毎日を東北で暮らす人たちはどんな思いか!  Tさん
_____________________________
  フクシマにTPPにと、この国はどこへ行ってしまうのでしょう.
  この期に及んでも経済が最優先とは悲しすぎます。国民あって
  の国家だと思う私は少数派なのでしょうか…。     Kさん
_____________________________

  群馬県は北部・西部は深刻です。福島県他の地域も0.25マイクロシー
ベルト/時を越える地域は脱出するしかないと思うのですが・・・
もちろん当の住民には様々な事情も理由もある上に、いろんな人
がいろんな事を言いますからね…。
(汚染度は「群馬大学早川先生の「汚染マップ」等をご参照)

 Kさんの様な方は少数派です。
経済発展があって、国民の<豊>かな生活があると信じ込まされ
ている人々が殆どです。
ですから「東電」もマスコミ(「電通」)も、フクシマ事件当初か
ら「計画停電」とかなんとか言って、国民を恫喝(脅)しました。
今も、原発がなければエネルギー不足が起こり、経済が停滞し、
企業=資本は国外逃亡して産業は空洞化して、失業が増えると脅
しています。
実は経済発展が「農」も環境も壊しているのですが…

 クラブのように、25年間一貫してアルミ缶文化に反対して、一
切アルミ缶製品を扱わず(ご利用会員が将来「アルミ脳症」にな
らないように)、自販機に反対し、コンビニの深夜営業に反対し
ているような団体は、残念ながら全くの少数派です。
 口先だけ「反原発」だの「エネルギーシフト」だのと言ってい
ても、缶ビールや缶ジュースなんかを売ってれば街中に溢れる自
販機は無くせるどころか増えるばかりです。
(折角の長寿を喜ぶべき老人の痴呆症も増やすばかりです。)

 やがて缶飲料と自販機に依存するベンダー企業の雇用力無くし
ては若者の雇用もままならなくなってしまいました。
 チェルノブイリから25年間、そんな風に私たちの日々の生活が、
原発を無くすことも止めることもできなくて、その結果として、
フクシマは起こりました。
 

緊急 ふくしま集団疎開裁判 への賛同クリック

 投稿者:こうべ 前迫  投稿日:2011年11月23日(水)12時24分10秒
  【緊急!】

ふくしま集団疎開裁判の会
http://fukusima-sokai.blogspot.com/
では、「いま、福島の子どもたちを救う疎開裁判賛同の表明を!」
と、HPでの1クリック賛同登録での募集を行っています。
皆さんご協力を!

ところで、このHP内には、裁判資料として 「品川宣言」へも賛同を
いただいています、

岐阜環境医学研究所 所長 松井英介氏 の 「意見書」 も収録され
ていて、読むことができます。
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou72Matui-Opinion.pdf

他の方の意見書もそれぞれ優れた文章です。裁判の目標とは別に、勉強になります。
 

何もかにもが変わらねば①

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2011年11月22日(火)23時25分16秒
   25年前、神戸で「さよなら原発」を叫んでいた頃、私は「環境問題の出口はGDPの削減
しか無い」と発言したことがありますが、当時も今も、神戸でこの種の運動の主軸になっ
てくださっているKさんが、「前迫さん、今それを言ったら、せっかく人が集まりかけて
いるのに、その人たちが引いてしまう。」
といわれました。この時のこの人の判断は正しかったのですが、でも、やっぱり運動は下
火になってしまいました。狂喜の成長神話とバブルの破裂で、1980年代後半から、失われ
た90年代の10年で、人々の反原発も京都COPも、個々人の暮らしの防衛に取って代わられて
しまいました。
 この時代の反省は、「豊かさ幻想」とそれを失いそうになった時の人々の「保守性」。
これはもっと有り体に言えば「保身性」と言っても良いのですが・・・。
「理念」の運動は、「飯の種」には勝てないかのようです。
 

ぶれないことの大切さ

 投稿者:シルフレイ野呂ですメール  投稿日:2011年11月19日(土)20時39分41秒
編集済
  前迫さんが「品川宣言」はぶれない為のものと言っていた様に思いますが、今地域で「いのちを守る」活動をしていて、正にそうだと実感しています。いのちより経済が大事として世界を動かそうとしている相手は相当に人の心の操り方が上手です。今全エネルギーを動員して、反原発まで想いが辿りついた人に揺さぶりを掛けています。平和運動・自然を守る運動を一生懸命しているつもりが、気が付けばいつのまにか、経済組の手助けをしてしまっています。指針がしっかりしていないと、やはり運動がぶれてきます。特に
再生可能エネルギーのこと・反原発国民投票のことこは慎重にとらえる必要があると思います。今第一に運動する事は東電・国に福島原発事故の責任を明らかにして、全ての被害の保障をただちに実行する そして多くの人の失った未来を新たに建設する事だと思います。
ぶれないための「品川宣言」あってよかった。
 

「読みました」への返事その1

 投稿者:伊藤泰子メール  投稿日:2011年11月19日(土)06時21分54秒
  ermanonさんへ。
久々に、こちらに来ましたら、投稿に気がつきました。
「品川宣言に思う」は、夫が書いた文章ですので、内容については、夫が近々お答えします。

私なりにひとこと。けっして、当然「子供を守る」ことを否定しているのではありません。よく「生産者を守るために、子供を犠牲にするのか」という言われ方がありますが、「子供を守るためには、生産者も、生産地も、守らなくてはならない」という風に思います。食べ物は、すべての命の基盤ですから。その耕地を守る人がいなくなっては、未来の子供の命を守ることは出来ません。(最近「フードインク」という映画を見ました。)

そして、守るべき生産地に関しては、やはり「線引き」が必要だと思います。
ただ、それは、外側から生産地に押し付けることは出来ません。避難する方と残る方の間に出来る亀裂と同じことが、農業者の間にも生じるでしょう。大変な不幸と悲劇を伴う作業でしょうし、それは、敬意を持って見守るしかないと、私は思います。

「品川宣言に思う」を読んだ、といって、メールを下さった方がいました。福島で、有機農家などと、復興のために働いている、NGOの方でした。自分も、東京にいたら、「品川宣言」に賛同しただろうと。でも、福島の人たち、生産者達と付き合ったあとでは、できない、と。

これも最近ですが、こんな記事を読みました。
基準値を今すぐ大幅に下げることを生産者も消費者も望んでいる。そうすれば東日本の農産物は売れ、消費者も安心して買える。 Approaches 食品基準の即時変更を求め東日本の食材を排除し子供を守る http://bit.ly/rNVcjQ

私もこの考えに賛成です。しかし、どのようにすれば、可能なのか、その道筋までは今の私には考えることが出来ません。署名なのか、デモなのか、議会への請願なのか。そういう道筋が提起されたら、私はすぐ、賛同し、仲間にも呼びかけたいと思っています。

 

読みました

 投稿者:ermanon  投稿日:2011年11月16日(水)13時50分19秒
  伊藤泰子 さんの品川宣言には同意できません「品川宣言」に思う - 菜園 「野の扉」
http://bit.ly/qeFZVy
http://nonotobira.typepad.jp/blog/

を読みました。
結局、それでどうするのかどうしたいのか全く書かれていませんね。
この国難に皆が一丸となって知恵を出し合わなければならないのに、
思考停止していても何も始まりません。
知恵を出し合った結果が品川宣言なのだと理解してます。
東京だけがこの宣言を出しているわけでもありませんし。

結局、行政も国も東電に金を出せといえずに、
お金が無く補助が出せないからJAに流通をと圧力を掛けます。
流通させられた食品を食べて一番に被害が出るのは子ども達です。
子ども達はこの国の未来を体現するのであり、
未来を潰してでも汚染された食品を流通させるのは
大人の都合でしかないのだと思います。
それでも品川宣言に対して批判をしたいのなら自由だと思いますが。

個人的には何百、何万倍もの汚染をされた土地で
今も耕作を続ける農家の方々の健康被害も心配なのです。
 

放射線障害軽減論のまやかし

 投稿者:神戸前迫  投稿日:2011年11月 7日(月)23時59分7秒
  チェルノブイリの科学者が、摂取量を軽減させるノウハウを多く発
見しているという話もありますが、これもそこから逃れられないなら
ば・・・ という前提で意味のあることでしょう。
放射線曝露の軽減は、先ず少ないところに逃げることです。
逃げることができるのに、逃げずに軽減化を図るのは、本末転倒
です。

今、曝露の軽減を言う場合、それが人々の逃げる権利を妨げる論
理になっていないか? を検証した前提で語られる必要があります。
現在の様に、5mSv/年を越えそうな環境に多くの人々が捨て置か
れてる状況で、曝露の軽減化を語るのは、東電や政府に免罪の口
実を与えているに過ぎません。

逆に、高汚染地域の農産物の汚染が、少ないとか、無いとか言う話
も、簡単に除去できるとか言う話も、免罪論でしかありません。
一方でこれは、自主避難者を石持て追っているか?
無理矢理汚染地域に引き戻す論理でもあります。

どうしてこんなに他愛もない理屈に与してしまうのでしょうか?
それは問題の核心と枠組みをしっかり捉えていないためです。

こういった人々に、別に「宣言」賛同を得たいとは思いませんが、
自分達なりの「品川宣言」=規範・判断基準を起こすくらいの努力は
して欲しいですね。
付和雷同で、ブレながら他人様の批判はして欲しくない。

 

EMは~ ②

 投稿者:神戸前迫  投稿日:2011年11月 7日(月)23時49分14秒
  微生物は化学変化を起こせても、物理変化は起こせません。
放射性同位体が微生物の関与で、急速に非放射性の安定体に
なったりはしません。

化学的変化での可能性は、放射性物質は金属元素が多いので、
キレート化等で隔離された放射性物質=金属が、きわめて難消
化性になって、摂食してしまっても、未消化で体内吸収をまぬが
れて、体外排泄されてしまうようなことでしょうか?

この場合も、消化管内にあるときも放射線を出す性質は変わり
ませんので、体内被曝は起こります。でも、1~2日程度で体外
排泄されてしまうので、ダメージは少ない。
鉄などの金属元素がお茶のタンニンでタンニン鉄になって消化
されずに排泄されてしまうようなものですね。
この場合は逆に消化吸収が抑制されるために、鉄欠乏性貧血
の原因になることもありますね。

タンニン鉄も化学変化=分子の問題で、鉄が金など他の元素
に変わったり(錬金術)、原子番号を変えて同位体になるわけで
はありません。

微生物は化学変化=分子転換は起こせますが、元素を変化さ
せる力はありません。

また、微生物がγ線崩壊を促進したりもできないでしょう。
促進できても、その場のセシウムが少しくらい早くバリウムにな
る程度の事でしょうけれど、それだってありえない。あったら、短
時間にその周りは猛烈な放射線被曝を受けるだけで、かえって
危険でしょうね。

 

EMはフクシマを救うか?

 投稿者:神戸前迫  投稿日:2011年11月 7日(月)23時45分39秒
  さて、「EMは放射能からも救う?」のこと。
理科が得意な中学生にでも判ることを、マジで語り出すから、
困りますね。

化学変化と物理学的不変性が簡単に混乱されてしまいます。
微生物などの働きは、基本的に酵素や活性酸素などの化学変
化です。これは分子の組み変わり(空中チッソ→アンモニア→硝
酸等々)です。

一方放射性物質の変化は元素の部分的核崩壊などで、同一元
素の問題です。ウラン→ビスマス→鉛など、放射線崩壊の過程
で1つの元素が、原子番号を減じて、他の元素に変わっていく変
化はありますが、これらの変化は、大抵はヒトのタイムスケール
を越えています。

 

宣言賛同者 追加

 投稿者:チャンプール  投稿日:2011年11月 4日(金)20時57分7秒
  賛同者に追加をお願いします。
相模原市 進藤晃一、進藤裕代
横浜市 長谷川正子、長谷川典子、森下喜代子、長谷川文子

以上です。よろしくお願いします。
 

「宣言」の目的③

 投稿者:神戸前迫  投稿日:2011年11月 1日(火)22時43分47秒
  「私見」を続けます。
 地震・津波の巨大な被害は、多くの人々の魂を振るわせました。
私たち神戸の人間が経験したボランティア元年は、鳥取県や新潟県や、あるいは能登半島
外浦海岸などでの「ナホトカ」重油掬い等もありました。当時はまだ慶応大で教鞭をとら
れていた藤田裕幸さんなども学生を引き連れて、柄杓で寒風の能登の海岸でばっちゃんた
ちと一緒に重油汲みに献身されていたのを思い出します。
全く余所から襲ってきた災害・被害に対して、協働で助け合うのは当然のことです。
でも、その美談ばかりに浸っていては駄目なことがあります。

 それがこのような大規模公害事件の場合です。そこで、市民レベルで助け合うことが、
必ずしも助け合うことにはならない事も知るべきです。
例えば、
自主避難で残してきた人々、それは主観的には捨ててきた人々として罪悪感を肥大させて
います。避難しなかった人々は美しい。まるで、沈み行く戦艦のマストに自らを縛り付け
させて沈んで行った旧日本海軍の艦長のように美しい。って、そんな価値観とはとっくの
昔に決別したのではなかったっけ?
でも日本人には、今なおそんな「呪縛」の価値観が生きているのでしょうか?
そんな艦長の姿のように、自らの田畑に自らの意識を縛り付けることが、本当に美しいの
でしょうか?
 少なくとも、今それを支持することは、1平方メートル当たり数千~数万Bqの汚染環境
に、地面からの放射線の中に、舞い立つ砂埃を吸引し続けるなかに、耕作農家を縛り付け
る事です。それが農家を助けることなのか? 私にはそうは思えないのです。
 そのため、「宣言」1項、2項は人々に「逃げろ」と叫ぶところから始めました。
そんな環境に人を放置する側の人間や企業、政府を糾弾することから始めました。
7項で始めて、圃場に立ち戻りたいと願う農家を想定しました。
 

「宣言」の目的②

 投稿者:神戸前迫  投稿日:2011年10月31日(月)15時21分18秒
  これは「私見」です。
 私たちが品川に集まり、この「宣言」を起草した一番の理由は、とにかく始めての経験
(Jco臨界事件はあったのですが)を私たち市民(農水生産者だけでなく、全ての)が全く
消化しきれずにいることでした。
地震・津波と同時に起こったことでしたから、「天災」と私企業の起こした「公害事件」
である事との混同が、いつまで経っても拭いきれないかのような印象です。
それ以上に、東電なり国(政府)なりの全くにでたらめで、無責任な対応で、市民は自分た
ち自身で自分たちを救うしかないんだとの「諦念」から始めているような印象です。
これを先ず、私たち自身含めて払拭してゆかないと、何も始まらないように思いました。
この様な事件で、「何も始まらない」という場合、それは「泣き寝入り」と同義だと思
います。
 私たちはまた、「水俣」の経験も知っています。放射能被害は広汎でタイムラグもとて
も長いものです。人々が「これがあの事件の結果なんだ!」と自覚できるまでにも5~10
年は必要でしょうか? そこから20年以上は放射能の影に怯える覚悟が必要でしょう。
 まだまだ実感はないのでしょうが、人々が「怨」の黒幟を揚げる頃には、全てが遅いの
ではないか? そのことを最も恐れています。

 

東電原発事故前後の怠慢

 投稿者:澤口健一メール  投稿日:2011年10月30日(日)22時33分50秒
  私はサンパウロから首相官邸へ東電原発事故直後に1)直ちにベント弁の開放2)冷却水の
後処理は岸壁の構内に端から端まで暗渠を築き排水ポンプで3)放射能汚染物質(汚泥、瓦礫、その他の除染土など)は集合して常磐炭坑跡の廃坑道内へ最終格納を進言していたが7ケ過ぎても回答がなくオモシロク無かった。因みに私は12年前まで常磐共同火力勿来発電所構内のNEDOの石炭ガス化実験複合発電所(IGC-IHI-IPC)で電気計装監督していた。
 

「宣言」の目的

 投稿者:神戸 前迫  投稿日:2011年10月25日(火)08時31分45秒
  伊藤様
 ご意見ありがとうございました。早くお応えをと思いつつ、気づけば片柳様と野呂様がお書きくださいました。この様なスタイルの掲示板ですから、あまり長文は馴染みませんので、少しだけ補充させてください。
 先の土曜日のNHKの特集番組に「なないろ農場」と片柳氏も取材されて出ておりましたが、二部の「討論」には呼ばれなかったそうです。その結果、とても不毛な構成で議論が進み終わってしまいました。
「宣言」序文で私たちは、この福島事件は公害事件であり足尾銅山・水俣・神通川などと同様、(原発の爆発でしたから、インド<ポバール>やイタリア<セベソ>を例にした方が判りやすいかも知れませんが・・・)、「公害事件」では加害者と被害者の関係で語られなければならないという前提で「宣言」を始めています。
 この枠組みを忘れると、議論は無意味な混乱を生じてしまいます。等しく皆平等に放射能被害を受けなければならない。逃げる者は卑怯者で、故郷の農業、農地、地域産業・経済を守らなければならない。みたいな訳のわからない話になってしまいます。
そんなことよりも「いのち」が大事なことは自明のことなのにです。

 思考も議論もこの枠組みから始めないと、不毛なことにしかなりません。
私たちは、その私たち市民がこれから考えてゆく「指標」として「品川宣言」を必要としたのです。
国民皆が等しく甘受すべき等では絶対になくて、逃げるべき者は逃げ、放射能は拡散させてはならない。被害者を増やし、被害を拡大させてはならない。
被害の拡大を含め、全ては東電、全国の原発事業連・国に責任がある! 事を「宣言」しています。
 

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