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再び酒匂求馬平景命について

 投稿者:かもひろ  投稿日:2017年 1月31日(火)19時05分5秒
  通報 返信・引用
   2015年6月10日、11日に
酒匂求馬平景命が建てた碑について
記事を書いた者です。
この碑は鹿児島県(旧)姶良郡福山町にあります。
(現在は、霧島市になっていますが、
歴史的には廻竹原山ーーめぐりたけはらやま
ーーと呼ばれている山の中腹です。
なお、余談ですが、福山町は黒酢などの酢で
大変有名な町です。)

 この碑の写真をアップできずにいたところ、
ロッコの親爺様に写真をアップして戴き
感謝致します。

 さて上記酒匂景命のことです。
 川崎大十著「さつまの姓氏」
p328の最後の行から次のページにかけて、
酒匂景命についての記述があります。
それによりますと、
「嫡家の景宗の弟某は姶良郡蒲生郷に在ったが、
子孫は那珂郡佐土原の島津家の家臣」云々、、
と書かれています。
佐土原島津家の家臣の子孫だということです。
 酒匂景命が建てた碑では、自分は
「(廻竹原山)で戦死した源左衛門の9世孫」
である、という旨が彫られています。
この碑が建てられた
万延元年というのは西暦では1860年です。
 川崎大十氏の著書によれば、
酒匂景命はその後、「曽小川(そおがわ)氏」
を名乗った、と書かれています。
 NTTの電話帳によれば、
旧佐土原町(現在は宮崎市と合併)には
確かに曽小川さんという家は何軒か有ります。

 世代的にいうと、
現在の人々は1860年ごろの人々の
孫の孫に当たります。

 景宗とは、永禄4年(1561年)
7月12日、
島津忠将の部下として戦い、
廻竹原山で戦死した源左衛門景房の子息の
「新左衛門景宗」のことだと思われます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 川崎大十氏は川内市(薩摩川内市)
のご出身で、教職のかたわら、
半生をかけて、
三州(薩摩、大隅、日向)の
家系、姓氏を調べた方のようです。
この川崎氏のご著書は、
鹿児島県内の大きな図書館には
おいてあります。
(宮崎県も同様だろうと推測します)

 以上、何かのご参考になれば幸いです。




 
 
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