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北海道上富良野

 投稿者:かもひろ  投稿日:2018年 5月29日(火)21時02分52秒
返信・引用
   最初に、2017年8月22日付「酒勾家の嫁」様へ。
ご丁寧なお言葉、いたみ入ります。
あなた様の記事は、すぐに読ませて戴いたのですが、
ご挨拶が本日になってしまいました。
申し訳ありません。
ーーーーーーーーーー
 さて本題ですが、
先ごろ北海道上富良野町へ行って参りました。
昭和の終わりから平成の初めにかけて
十勝岳が大噴火を起こし、
麓の上富良野町に大被害を与えたことを
ご記憶の方も多いことと思います。
その時、獅子奮迅の尽力をなさったのが
当時の酒匂元上富良野町長です。

 酒匂元町長のお父上・平右衛門氏は
明治18年7月、現在の鹿児島市春日町から遠く、
札幌近郊、現在の江別市野幌(のっぽろ)に
屯田兵として入植しました。
 その後、桐野利秋(中村半次郎)の
近い親戚と思われる女性
(姪かその娘か?まず間違いないのですが、
決定打が無いのです)と結婚しました。
 元町長のお父上は江別市の記録によると、
屯田兵にも恩給を支給するよう、
大正11年、貴族院、衆議院に請願書を提出しています。
また、旭川の第七師団の師団長(鹿児島県出身)にも
書簡を送っております。
結局、大正13年、請願が帝国議会によって可決され、
支給されることになりました。
大変な功績だと思います。
 この江別・野幌の酒匂家は
後に上富良野の開拓にあたることになりました。
当時、島津家(直接には、久光公の孫)が
広大な原野を所有していました。
この島津家の原野の管理に当たったのが、
元町長の父上らと野幌に入植した海江田氏
(現在の鹿児島市下伊敷出身)です。
 現在でも上富良野町には「島津」という大字があり、
小高い所に島津神社もあります。
 観光地として外国人にさえも有名な美瑛、美馬牛、
またドラマ「北の国から」で有名な麓郷なども
ほど近いところです。
この美しい日本離れした広大な大地が
鹿児島県出身者たちを
中心とする方々によって血と汗で開拓された所だな、
と偲びつつ歩きました。

 西郷隆盛、桐野利秋等は明治6年頃には既に
屯田兵の制度の必要性を発案しております。
 酒匂元町長は、3期目の任期を半ばにし、平成4年に
亡くなられました。
大変な数の参列者が葬儀に訪れたとのことです。
 この酒匂家は島津家直属の城下士に
間違いないと思います。
平右衛門氏の父上・平八氏(つまり元町長の祖父)は
明治10年2月8日現在の熊本県田原坂で戦死しており、
南洲神社の西郷さんのお墓の
南西側にお墓があります。
この酒匂家の家紋は拙宅と同じ「並び矢に丸」です。
以上





 
 

Re: 初恋

 投稿者:ど田舎からニューヨークへ  投稿日:2018年 2月25日(日)22時57分50秒
返信・引用
  むむむ! あなたひょっとして電気屋さんでは?

小さな自営業さんへのお返事です。

> 佐賀県からの投稿になります。
> 小学生のころ転校して来た酒匂雅美さん、裏表無く活発でシッカリしてて、鹿児島訛りの彼女に僕は片思いをしていました。なつかしい~
 

かもひろ様

 投稿者:酒勾家の嫁  投稿日:2017年 8月22日(火)16時58分19秒
返信・引用
  大変貴重な情報を有難う御座いました。
暫くお邪魔してなかったので、久々に拝見させて頂いたところ、私宛の返信が有り驚きました。
返信が遅くなり大変失礼を致しました。
近い御先祖様が出石藩の仙石家にいたということで、その方面からも酒勾家を調べていました。
豊岡市立図書館のホームページ内、郷土資料関係情報の古文書『諸氏略家譜』【サ】の項より
仙石権兵衛秀久が養子に出された萩原家との繋がりも見えてきました。
萩原家も清和源氏の土岐氏の流れを汲んでいる様です。
なかなか、其処からは遡れていませんが…
こちらのページで新しい情報を頂けたのでまた色々と調べてみます。
 

「酒勾家の嫁」さまへ

 投稿者:かもひろ  投稿日:2017年 1月31日(火)20時16分13秒
返信・引用
  「酒勾家の嫁」さまへ、
 2016年7月30日ご投稿の記事に
対する返事には到底なりませんが、
以下、ご参考までに。

1)新潟県新発田市に
願文山神社(または酒匂神社)というのがあり、
祭神は酒匂家賢(いえかた)
という鎌倉時代の武将とのことです。
承久の乱の折、
後鳥羽上皇方につき、戦い、
戦死したとのことです。

2)岩手県出身の酒勾さんに
お会いしたことがあります。

3)東京都西多摩郡奥多摩町に
坂和(さかわ)さんという姓があります。
本来は「酒匂」か「酒勾」であったものを
出自を隠すため、このような字に変えたのだ
と昔聞いた記憶があります。
 裏の山を越えたら、埼玉県の秩父地方という
山奥の地域です。
(メモが見当たらず、
不確かな記憶で書いています)

(全くの推測です)例えば、鎌倉幕府側からの追跡を
逃れるため、漢字を変えた人もいたかもしれません。

4)鹿児島県内でも、
平家の子孫ではなく、
藤原家の子孫だという酒匂さんもいるようです。
 私の出身の鹿児島県(旧)姶良郡蒲生町には
同じ文字の「酒匂」でも
家紋が三種類あります。

5)我々は、1100年代の終わり、
島津家とともに薩摩へ下ったと
伝え聞いている一族の子孫ですが、
初代酒匂(梶原)朝景の一族でも、
薩摩へ下った酒匂と
残った酒匂がいてもおかしくありません。
(推測です)

6)また、酒匂(梶原)朝景とは
一族でない人で
酒匂または酒勾を名乗った人がいたかもしれません。

7)私の知る限り、
「さかわ」と読める人名で最も古い記録は
天平7年(西暦735年)の酒波人麿です。
相模の国初代の国司だったようです。
どのような出自か、
その後子孫がどうなったか、の
記録は見当たりません。

 以上、浅学の私ですので、
「ああ、そういう話があるのか」と
いう程度にお読みください。






 

再び酒匂求馬平景命について

 投稿者:かもひろ  投稿日:2017年 1月31日(火)19時05分5秒
返信・引用
   2015年6月10日、11日に
酒匂求馬平景命が建てた碑について
記事を書いた者です。
この碑は鹿児島県(旧)姶良郡福山町にあります。
(現在は、霧島市になっていますが、
歴史的には廻竹原山ーーめぐりたけはらやま
ーーと呼ばれている山の中腹です。
なお、余談ですが、福山町は黒酢などの酢で
大変有名な町です。)

 この碑の写真をアップできずにいたところ、
ロッコの親爺様に写真をアップして戴き
感謝致します。

 さて上記酒匂景命のことです。
 川崎大十著「さつまの姓氏」
p328の最後の行から次のページにかけて、
酒匂景命についての記述があります。
それによりますと、
「嫡家の景宗の弟某は姶良郡蒲生郷に在ったが、
子孫は那珂郡佐土原の島津家の家臣」云々、、
と書かれています。
佐土原島津家の家臣の子孫だということです。
 酒匂景命が建てた碑では、自分は
「(廻竹原山)で戦死した源左衛門の9世孫」
である、という旨が彫られています。
この碑が建てられた
万延元年というのは西暦では1860年です。
 川崎大十氏の著書によれば、
酒匂景命はその後、「曽小川(そおがわ)氏」
を名乗った、と書かれています。
 NTTの電話帳によれば、
旧佐土原町(現在は宮崎市と合併)には
確かに曽小川さんという家は何軒か有ります。

 世代的にいうと、
現在の人々は1860年ごろの人々の
孫の孫に当たります。

 景宗とは、永禄4年(1561年)
7月12日、
島津忠将の部下として戦い、
廻竹原山で戦死した源左衛門景房の子息の
「新左衛門景宗」のことだと思われます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 川崎大十氏は川内市(薩摩川内市)
のご出身で、教職のかたわら、
半生をかけて、
三州(薩摩、大隅、日向)の
家系、姓氏を調べた方のようです。
この川崎氏のご著書は、
鹿児島県内の大きな図書館には
おいてあります。
(宮崎県も同様だろうと推測します)

 以上、何かのご参考になれば幸いです。




 

移転報告

 投稿者:通りすがり  投稿日:2017年 1月28日(土)04時04分4秒
返信・引用
  酒匂ではないですが失礼します。
全国の酒匂さん( http://sakou.sakura.ne.jp/sakou-san/ )から
リンクされている酒匂貴一さんのHPが移転しているようです。
移転先はこちら→http://www.maroon.dti.ne.jp/ittia/
 

Re: 全国のサコウ様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月31日(日)00時27分32秒
返信・引用
  > No.330[元記事へ]

酒勾家の嫁さん、はじめまして。

名ばかりの管理人の酒匂です。

昔、「さこう」と口頭で伝えたときに「酒勾」と書かれることがよくありましたよ。
最近のかな漢字変換では、「さこう」の変換候補に「酒匂」が入っているので、間違えられることは少なくなりましたけどね。

起源については私は全くわかりませんので、他の酒匂さんに譲ります。(笑)
 

全国のサコウ様へ

 投稿者:酒勾家の嫁  投稿日:2016年 7月30日(土)14時37分21秒
返信・引用
  全国のサコウ様こんにちは。
私の嫁ぎ先は《サコウ》としては少数派の『酒勾』です。正しく読んで頂けないのは勿論の事、郵便物や御先祖様に関する文書や出版物はパソコンなどの普及により変換間違いで《コウ》の字は多数派の《匂》になっている事が多いです。
御先祖様は仙石氏古参の家臣で古文書や古地図にも『酒勾』で記載があります。
家紋は一つでは無いのですが、現在は土岐氏から下賜された桔梗紋の一種です。(大変珍しく説明難しいです)
そこで一つの疑問が生まれました。九州に多い『酒匂』と九州より東の北海道までに比較的見掛ける『酒勾』恐らくは起源は同じ《梶原氏》だと思われますが、別れた由来を御存知の方はいらっしゃいませんか?小田原にある酒匂川も古文書には酒勾川と記されているものも有ります。
又、各地に離散したサコウ氏は島津氏、仙石氏、佐竹氏などの《源氏》の流れを称する氏族の重臣として仕えています。憶測の域でしかないのですが、“源氏の再興”を志し其々の繋がりや情報のやり取りがあったのではと思うのですが、何か御存知の方、教えて頂きたく情報をお願い致します。



 

関東在住酒匂さま

 投稿者:ロッコの親爺  投稿日:2015年 9月 4日(金)15時51分44秒
返信・引用
  あるようでなかなか無いのが並び矢の家紋ですね。
大元は一緒でどこかで繋がっているのでしょう!
鹿児島の酒匂に所縁のある者が
年2回ほど東京駅付近に集まり
「酒匂会」としてきままに意見交換しています。
私が勝手に作成した系図のページがあります。
意見交換する中で、約400年前に分家した方だ・・・とか
色々と新事実が分かり、修正が必要になりましたが
よろしかったらご覧ください。
酒匂家の源流を求めてのURLは下記の通りです。

http://home.e00.itscom.net/yunoki/hu910.htm

 

酒匂家の掲示板

 投稿者:鹿児島出身関東在住酒匂  投稿日:2015年 9月 2日(水)09時35分19秒
返信・引用
  とても面白い掲示板ですね。
以前よりチョコチョコ拝見させて頂いておりましたが、まさか新掲示板が出来ていようとは^^
そしてお待ちしておりました。私の家系も並び矢2本です。
 

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