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兒嶋様、及び札幌の酒匂様

 投稿者:かもひろ  投稿日:2015年 2月16日(月)22時28分31秒
返信・引用
  兒嶋様、並びに札幌の酒匂様、

(1)兒嶋様、
 ご連絡、有難うございました。
蒲生から金峰町へ行った方がいらっしゃるかどうか
尋ねられる方々へ尋ねてみます。
 金峰町というのは、吹上浜の近くの
昔の阿多と田布施ですね。

(2)札幌の酒匂様、
 (ア)私の出身は鹿児島県姶良(あいら)郡蒲生(かもう)町です。
数年前3つの町が合併して、今は姶良市になっています。
この蒲生町に数軒、「左三つ巴」の酒匂家があります。
多分、お尋ねになった家紋と同じではないかと思います。

 なお、蒲生町の酒匂家には3種類の家紋が有ります。
この3つの酒匂家の各グループが
互いにどのような関係にあるのか、私には分かりません。
 男系として考えるなら、少なくとも
最近の400年前後は互いに関係は無いのではないか、
と推測しています。
(たまたま、他の酒匂家から
お嫁さんをもらったという例は有ります。)

 私の家の紋は、「並び矢(又は並び矢に丸)」で、
二本の矢が縦に並んでいます。
 鎌倉市長谷の江ノ電長谷駅の近くに
鎌倉権五郎神社(別名御霊神社)の正面には
この家紋があります。
私たちの酒匂家の子供たちは、この権五郎が
先祖、又は一族の一人であると代々教えられて育ちます。
 そして時々お参りに行きます。

 そしてお尋ねの「左三つ巴」。
もう一つは、正確には何と言うのか分かりませんが、
藤の花のようです。
もしかしたら「下がり藤」とか、
「下がり藤の花」というのかも知れません。
私は家紋の事は全くの素人です。

 (イ)蒲生の歴史にご興味がおありなら、
旧蒲生町が発行した「蒲生郷土誌」という書籍が有ります。
古いもの(昭和44年)と
新しいもの(平成3年)の2つの版があります。
その巻末に(又は別冊として)、幕末(藩政時代末)の
蒲生の地図(今でいうと住宅地図)が有ります。
当時の各家々の当主のお名前がほぼ全部分かります。
 両方とも絶版ですので、簡単には入手できません。
鹿児島県内であれば、大方の公立図書館には有ります。

 (ウ)別件です。
 昔、もう20年くらい前になると思いますが、
北海道中央部で何か災害が有り、
(火山の噴火だったでしょうか、記憶有りません)
富良野のあたりの町長さんで「酒匂さん」という方が、
テレビでそのご活躍ぶりを報道されていましたね。
 ご親戚でしょうか。

 (エ)明治維新期、薩摩藩(又は鹿児島県)の
士族で東北地方へ将兵として
派遣された人が大勢います。
私の一族にも東北へ派遣された人が何人かいて、
記録(文書)も若干ですが、残っています。
現在の福島県、岩手県、山形県、秋田県あたりです。
 その一部がそのまま、東北地方に定住し、
その後開拓のため、北海道へ渡った人がいる、
と聞いたことが有ります。

 また、(エ)とは直接関係ありませんが、
中央政府から1870年に開拓使次官、
のちに長官として北海道へ
赴任した黒田清隆のような人もいます。

 (オ)また、口伝といいますか、そういったものに、
依るものですが、遠い先祖で、12世紀末に、
奥州藤原家と対峙するため、
源頼朝から東北へ派遣された人もいます。
(「吾妻鏡」などご参照ください。
なお、吾妻鏡には酒匂家のご先祖が
その文中40か所に登場します。
NHKの大河ドラマにも、私が記憶する限り、
2,3回登場したているようです。)

 札幌の酒匂様、
 鹿児島県・蒲生の「左三つ巴」の酒匂さんで
連絡の取れる方がいますので、
何か私にできることが有ったらお知らせください。
(と言っても大したことはできませんが)

 以上です。
 
 

家紋について

 投稿者:札幌市の酒匂より  投稿日:2015年 2月14日(土)20時45分47秒
返信・引用
  家紋が左三つ巴の方いらっしゃいますか?じいちゃんが旭川市に居たんですが、先祖は九州にいたまでしかまだ分からないんです。
 

Re: 鹿児島城下・嫡流酒匂家の方々へ

 投稿者:兒島  投稿日:2015年 2月 9日(月)20時54分13秒
返信・引用
  かもひろさんへのお返事です。

かもひろさま
下記書き込みを拝見いたしました。私の母方の祖母は酒匂家の出身で曾祖父の代に蒲生から旧金峰町に移り住んだと聞いています。蒲生から金峰町に移ったのは明治になってからと思います。祖母の従兄弟は日置郡の教育長をしていたようです。
 兒島

> 鹿児島城下・嫡流酒匂家の子孫の方々へ、
>
>  このサイトをご覧の方々の中に、
> 酒匂家の嫡流のご子孫はいらっしゃいませんでしょうか。
>
>  ご先祖様の中に、
> 新左衛門(1500年代前半、川辺、及び旧隼人町日当山の地頭)、
> 源左衛門尉(永禄4年7月廻竹原山、現在の霧島市福山町で戦死)、
> 新左衛門尉景宗(義弘公に仕える)、
> 景政(蒲生からの養子)、
> 利左衛門景明(山口家からの養子)、
> 大蔵兵衛(東郷家からの養子、元禄年間頃)、
> 利兵衛(多分「酒匂家由緒書」の方、宝永年間頃)、
> 源八、
> 太郎左衛門(天明年間頃)、
>  中略、
> 源右衛門、
>  以上のようなお名前の方々をご先祖に
> お持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。
>  私の理解が正しければ、
> 以上の方々は鎌倉以来の酒匂家の嫡流(本流)で
> 今の鹿児島市、つまり城下の侍の筈です。
>
>  最初に書いた新左衛門の5,6代前が、
> 旧川辺郡川辺町の松尾城の城主(城代)であった
> 酒匂紀伊守であると聞いております。
> 紀伊守は西暦1400年前後の人です。
>
>  上記の方々のご子孫の方、
> 是非投稿して戴けませんか。
> 他意は有りません。
> このサイトをお借りして
> 交流したいだけです。
>
>  当方旧姶良郡蒲生町の酒匂家の子孫です。
> 1500年代の半ばころ
> お宅様より分家したと聞いております。
> 源左衛門尉の弟新次郎が蒲生の祖です。
> 家紋は「並び矢に丸」です。
>  太郎左衛門の頃までは
> 鹿児島と蒲生の間にかなりの交流が有り、
> 源右衛門からも手紙が来たようなことを
> 聞いた記憶が有ります。
>
>  大正時代か昭和初期頃までは、
> 花尾神社(旧日置郡郡山町)で
> 例祭が有るときは、蒲生にも招待状が届き、
> 上座に座ったと年寄りから聞いたような記憶が有ります。
> その折、蒲生の人達は
> 多分城下の酒匂家の方々にも
> お会いしているかも知れません。
> 蒲生が呼ばれて、嫡流の市内の方々が
> 招待されない筈は無いと思うからです。
>
>  どうか宜しくお聞き届け下さいますように。
> かもひろ拝。
>
>
 

Re: 酒匂さんを探しています

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 2月 1日(日)23時18分59秒
返信・引用
  たいらさん、こんばんは。

解決できたようでなによりです。
ほぼ放置の掲示板で申し訳ございません。m(_ _)m
 

Re: 酒匂さんを探しています

 投稿者:たいら  投稿日:2015年 2月 1日(日)15時16分38秒
返信・引用
  質問者です。問題は解決いたしました。
ありがとうございました。

> こんにちは。建築の研究をしております、たいらと申します。
> 質問です。どなたか、1942年ころに、軽井沢に山荘をお持ちの酒匂さんはいらっしゃいませんか。
> 茅葺の屋根で、内装は洋室のしつらえの、立派な山荘(別荘)です。
> 私はその山荘の設計をした今井兼次という建築家の研究をしております。
> 竣工時の写真は建築雑誌に掲載(1942年)されたものが残っておりますが、それ以外は全てが不明であり、手掛かりがない状態です。※その掲載された記事に建物のタイトルとして「酒匂家山荘」とあり、施主が「酒匂さん」であることのみはっきりしております。
> 何か心当たりがある方は、ご連絡いただけますと幸いです。
> 軽井沢のどのあたりに建っていたか、など・・・・
>
> どうぞよろしくおねがいいたします。
>
> たいら
>
> 情報が少なく申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

酒匂さんを探しています

 投稿者:たいら  投稿日:2014年11月21日(金)14時15分54秒
返信・引用
  こんにちは。建築の研究をしております、たいらと申します。
質問です。どなたか、1942年ころに、軽井沢に山荘をお持ちの酒匂さんはいらっしゃいませんか。
茅葺の屋根で、内装は洋室のしつらえの、立派な山荘(別荘)です。
私はその山荘の設計をした今井兼次という建築家の研究をしております。
竣工時の写真は建築雑誌に掲載(1942年)されたものが残っておりますが、それ以外は全てが不明であり、手掛かりがない状態です。※その掲載された記事に建物のタイトルとして「酒匂家山荘」とあり、施主が「酒匂さん」であることのみはっきりしております。
何か心当たりがある方は、ご連絡いただけますと幸いです。
軽井沢のどのあたりに建っていたか、など・・・・

どうぞよろしくおねがいいたします。

たいら

情報が少なく申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
 

鹿児島城下・嫡流酒匂家の方々へ

 投稿者:かもひろ  投稿日:2014年 9月28日(日)02時02分56秒
返信・引用
  鹿児島城下・嫡流酒匂家の子孫の方々へ、

 このサイトをご覧の方々の中に、
酒匂家の嫡流のご子孫はいらっしゃいませんでしょうか。

 ご先祖様の中に、
新左衛門(1500年代前半、川辺、及び旧隼人町日当山の地頭)、
源左衛門尉(永禄4年7月廻竹原山、現在の霧島市福山町で戦死)、
新左衛門尉景宗(義弘公に仕える)、
景政(蒲生からの養子)、
利左衛門景明(山口家からの養子)、
大蔵兵衛(東郷家からの養子、元禄年間頃)、
利兵衛(多分「酒匂家由緒書」の方、宝永年間頃)、
源八、
太郎左衛門(天明年間頃)、
 中略、
源右衛門、
 以上のようなお名前の方々をご先祖に
お持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。
 私の理解が正しければ、
以上の方々は鎌倉以来の酒匂家の嫡流(本流)で
今の鹿児島市、つまり城下の侍の筈です。

 最初に書いた新左衛門の5,6代前が、
旧川辺郡川辺町の松尾城の城主(城代)であった
酒匂紀伊守であると聞いております。
紀伊守は西暦1400年前後の人です。

 上記の方々のご子孫の方、
是非投稿して戴けませんか。
他意は有りません。
このサイトをお借りして
交流したいだけです。

 当方旧姶良郡蒲生町の酒匂家の子孫です。
1500年代の半ばころ
お宅様より分家したと聞いております。
源左衛門尉の弟新次郎が蒲生の祖です。
家紋は「並び矢に丸」です。
 太郎左衛門の頃までは
鹿児島と蒲生の間にかなりの交流が有り、
源右衛門からも手紙が来たようなことを
聞いた記憶が有ります。

 大正時代か昭和初期頃までは、
花尾神社(旧日置郡郡山町)で
例祭が有るときは、蒲生にも招待状が届き、
上座に座ったと年寄りから聞いたような記憶が有ります。
その折、蒲生の人達は
多分城下の酒匂家の方々にも
お会いしているかも知れません。
蒲生が呼ばれて、嫡流の市内の方々が
招待されない筈は無いと思うからです。

 どうか宜しくお聞き届け下さいますように。
かもひろ拝。

 

宮崎の酒匂さんへ

 投稿者:かもひろ  投稿日:2013年 7月28日(日)10時49分13秒
返信・引用
   二度にわたり、ご回答、有難うございました。
かもひろ
 

酒匂

 投稿者:宮崎県宮崎市の酒匂です。  投稿日:2013年 7月28日(日)02時15分53秒
返信・引用
  済みません、ご質問の補足です。
『 家紋 』の特徴は、
【 前田利家 】の家紋の梅鉢の各花びら間に、矢が入っています。
 

酒匂

 投稿者:宮崎県宮崎市の酒匂です。  投稿日:2013年 7月27日(土)17時34分9秒
返信・引用
  家紋( 梅鉢揃矢 )
酒匂浅之進( 平安時代 ・治承~寛治 )
だと思います。
 

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